NIHITI
ニヒチ

監督 : 高木 正勝

企画: 
独立行政法人理化学研究所
発生・再生科学総合研究センター
広報国際化室 南波直樹
制作コーディネート :
林口砂里(エピファニーワークス)

6分23秒 / NTSC / 4:3

2008年



NIHITI(ニヒチ)という言葉はポリネシアの方の言葉で「いつの間にか大きく掛かる」という意味です。おそらくポリネシアの島人はこの言葉を虹に対しても使っている(いた?)筈で、それが日本に伝わって、今僕たちが使っている「虹」という言葉になったといわれています。
なぜ、虹という言葉をタイトルに使いたかったかというと、細胞の話を聞かせて頂いたり、細胞の在り様を見せて頂いて、「これはまるで魔法だな」と思った事に由来しています。晴れた日に庭先でホースで水やりをしながら虹を見るのが好きなのですが、何もなかった空気の中に水と光の関係で突然虹が現れるのと、細胞 の姿を顕微鏡で覗くのは同じ事なんだなと思いました。普段見えないものを見えるようにする。

本来あるものを感知できるようにする。見える目や感覚さえもっていれば、特殊な環境を用意しなくても、世界が虹色で溢れているように見えてもおかしくないですし、細胞ひとつひとつを感じることだって可能かもしれない。それぞれの生き物では世界の見え方や感じ方も違いますし、本当の世界の在り様なんてものは、結局の所、分からない。宇宙は人間が感知出来ない暗黒物質で溢れているらしいですし。僕たちは残念な事に、今感じている世界の外側にあるものを身体一つで感じ取る器官や感覚を持ち合わせていないように思えますが、新しい考え方や感じ方、捉え方が分かれば、世界を違う形で感じ取れると信じています。そういう願いを込めて作品のタイトルを「虹」にしようと思いました。


作品は必ずしも作家が意図した様には完成しません。もし想い通りにすべてをコントロールして描きあげたなら、それは僕が理想とする作品、アートではあり得ません。作家は作品を前にして受け皿になるべきですし、どんなものを受け取って、どのように吐き出せるか、そこにしか作家の才能はいかせないものだと思っています。まるで、細胞のように一つのイメージやアイデアから、次々に色んなものが膨らんで発生していくものなのです。今回は、特に細胞の感覚に従って作ろう、と決意して作り続けました。

細胞を知る前、僕にあった感覚器官というのは頭か心でした。ところが、細胞の生き様を見せられ、そういうもので自分が生かされているのだと知った後、頭と心の他に細胞でも感動をしているのだという事を知りました。例えば、台風の前の大荒れの海を目の前にした時、ヒマラヤの山頂で満点の星空を見た時、全身で浴びる様に感じた感動、それは必ずしも心地のいいものではなく爪の先までビリビリ震える、懐かしい様なおそろしい様な幸せな様な、なんとも形容しがたい感動で、頭や心では処理しきれないものでした。そのような圧倒的なものを目にした時、感じているのは、まさしく細胞ひとつひとつでした。まるで喜びを感じているかの様に振動しているのが実感出来ました。理化学研究所によせてもらい、そういう細胞での感じ方を覚えた後、まさしく細胞が震える様な、頭や心を通り越す様な映像作品を作るしかないと望んだのがNIHITI です。ただただ湧き出るイメージに従いながら作り終えたというのが本当のところです。個人的には、まさに細胞の感覚で作れた、細胞に届く映像作品だと確信しています。

高木正勝(制作ノートより抜粋)